桂枝雀のねた繰り

小説家で居続けるためのこころがまえ、
なんぞという、永遠に解決できない話題を、
恋愛小説家の寒竹泉美さんと、
結論はないので、構えて話すまでもなく、
高台寺の坂をテクテク下歩きながら話をしていたのですが、
心構えというか生活習慣がキモで、小説を書く続ける生活を絶やさない、それ以外に道はない、書き続けることが修練、稽古となる・・
ふたりで「そうですなあ」と確認し合っておりました。
書き続けりゃ達人になれなくとも、ちょっとはマシな話が書けるようになるだろう・・
寒竹さんとはそんな文壇論議をしておったしだいです。
彼女は私にとっては初めての文壇のお友達、であります。
とはいえ、彼女は恋愛小説家で、こっちは犯罪小説家。
「犯罪小説家って、犯罪者が小説を書いてる?」
と素直な疑問も呈されましたが、
「いや、海外でクライムノベルというやつ。直訳なら犯罪小説でしょ」
私はもちろん犯罪者ではありません。
人様のモノを盗んだことも、誰ぞの首を絞めたことなんぞありません。もちろん前科なし。
これはどうでもいいですが、こころがまえをあらためて思い知らされる京都でした。

そんなことを思っていると、天恵のようなビデオに出会いました。
それがこれ。「桂枝雀のねた繰り」
枝雀さん、年がら年中こんなことやってたんですね。
芸事というモノは、のめり込んで、自分の持つすべての時間をそこへ注ぎ込む、
一心不乱な人が達人になるのです。

芸事は一生稽古。
稽古、稽古。

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