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桂枝雀のねた繰り

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小説家で居続けるためのこころがまえ、
なんぞという、永遠に解決できない話題を、
恋愛小説家の寒竹泉美さんと、
結論はないので、構えて話すまでもなく、
高台寺の坂をテクテク下歩きながら話をしていたのですが、
心構えというか生活習慣がキモで、小説を書く続ける生活を絶やさない、それ以外に道はない、書き続けることが修練、稽古となる・・
ふたりで「そうですなあ」と確認し合っておりました。
書き続けりゃ達人になれなくとも、ちょっとはマシな話が書けるようになるだろう・・
寒竹さんとはそんな文壇論議をしておったしだいです。
彼女は私にとっては初めての文壇のお友達、であります。
とはいえ、彼女は恋愛小説家で、こっちは犯罪小説家。
「犯罪小説家って、犯罪者が小説を書いてる?」
と素直な疑問も呈されましたが、
「いや、海外でクライムノベルというやつ。直訳なら犯罪小説でしょ」
私はもちろん犯罪者ではありません。
人様のモノを盗んだことも、誰ぞの首を絞めたことなんぞありません。もちろん前科なし。
これはどうでもいいですが、こころがまえをあらためて思い知らされる京都でした。

そんなことを思っていると、天恵のようなビデオに出会いました。
それがこれ。「桂枝雀のねた繰り」
枝雀さん、年がら年中こんなことやってたんですね。
芸事というモノは、のめり込んで、自分の持つすべての時間をそこへ注ぎ込む、
一心不乱な人が達人になるのです。

芸事は一生稽古。
稽古、稽古。

才能の妖精

「止まった時計になろう。1日2回、確実に出番が来る」
今日、東京フォーラムであった秋元康さんの講演で刺さった、
というか、ずっと思っていたことで、それをすっと言われた。
講演はほとんどたいした話じゃなかったが(本人もそう言っていたが)、
そこだけ、刺さった。


ずっと思っていたことで、言われるまでもなく自分の考えそのものだった。
そしてそれは最近、とみにいろんな人が言うのを聞くのです。

世界的に有名な講演では、

作家エリザベス・ギルバートのTED講演「創造性をはぐくむには」
かな。いろいろあるんだけど、最近ではこれかな。

わずかばかりの個人がジーニアス(天才)「である」のではな く、
人間はみなジーニアスを「持っている」けど、それは巡ってくる。
大ヒット作のあと、全然発想がない。ものすごいプレッシャー。
でもそれは、妖精がどこかへ旅をしているから。
あせらず、自分のやるべきことをやればいい。
そのうち妖精はふらっと帰ってくる。タイミングは制御できない。
私的だけど普遍的な考えだ。


スティーブ・ジョブズ
他人の人生を生きることはない。
自分の道を行きよう。
stay hungry stay foolish


そして、NHK
松本人志の大文化祭

たとえば誰かが何気なくした行為を、おもしろいと気づいてしまう。
でも他人はそれを、全然おもしろいと思わなかったり、気づきさえしない。
自分の笑いって何? 
自分がおもしろいことがおもしろい・・
枝雀さんはまじめだから、真剣に悩んだんだろうな・・と思いながら。


みんな、考え方は同じ道の上にある。


エリザベス・ギルバートが講演の最後で締めくくった。
僕も思うのです。

ダンサーなら踊りなさい、作家なら書きなさい、料理人なら料理をしなさい。
ふと気づけば、旅の途中にある才能の妖精がそばで休んでいる。


止まった時計になろう。
追いかけない。自分のやるべきことをやろう。
自分の時間は確実に来る。


ですね。