生きてさえいればこそ
1月17日。
人生に対する考え方を
大きく変えた日。
後年出版した
小説「はるよこい」
あとがきに、
その思いを書きました。
読み返しながら、
また、がんばろう
と言う気持ちになっています。
はるよこい(PHP出版)
あとがき
のし上がりと没落の物語を書き進めながら、この小説の主題を何度も問い直した。
ひとのしあわせってなんだろう、ということである。
阪神大震災のその日、僕は東京へ向かうため、JR垂水駅で立っていた。明石海峡を臨むその駅は、まさに震源地に立つ駅であった。
まだ日も昇らぬ早朝、五時四十六分。海峡の方向が鮮やかな緑色に光った。少なくとも僕の中には光の記憶がある。
とんでもない「何か」が海のほうから来た。「何か」は轟音とともに大槌の一撃を駅に食らわせ、一瞬で僕の背中の方へ抜けていった。一歩たりとも動くことさえできない大爆発。土けむりがしょわーっと立ち上り、闇が残された。
僕は生きていた。震源地なのでウエーブがまだ小さかったらしい。
それがどんな規模のものかはまったくわからなかった。あとで、同僚の夫婦が亡くなったことを知った。多くの仲間が言葉にならない経験をした事も知った。
我が家のマンションは、何とかがんばって立ってくれていたが、家の中は食器や瓶や本やおもちゃやら、あらゆるものが吹っ飛び、ふとんで寝ていた妻とふたりの息子に降り注いでいた。妻は絶叫していたらしい。
そんな状況であったが、息子達は元気だった。三歳になる長男は、「ウルトラマンが来た」と目を輝かせて騒ぎ、一歳の次男は全く動じず、熟睡していた。
朝日が差し込みはじめた部屋にそんな風景があった。それはこころが痛いほどいとおしく、可憐な景色だった。「生」とはあまりにもみずみずしい。
地震の経験で得たのは「人生は一度きり」という、ピュアでシンプルな気持ちだ。
せいいっぱい生きて、悔いのない人生を送らねばならない。
物語が完成に向かう頃、西洋漢方の権威、リカルド・レニャーニさんと巡り会った。場所はモロッコのマラケシュである。語り合ううち、リカルドさん夫婦の物語を知った。妻のマッダレーナ・シストさんはファッションイラストの世界的権威であるが、残念なことに、前年亡くなられていた。
リカルドさんは研究者として多くの成果を残し、多くの命を救った。にもかかわらず、たったひとり、癌になった最愛の妻を救えなかった。彼はその一事を激しく悔い、人生をリセットた。経営する会社を全部売っぱらい、植物の種を研究する旅に出たのである。アフリカはその旅の途中だった。
リカルドさんは今、ミラノの郊外で、かつて提督の屋敷だったという広大な家に住んでいる。城のような住まいはともかく、暖炉に薪が燃える研究室で、還暦の男が少年のまなざしに戻って種を見つめている。こころの命ずるままに生きることを選んだのである。
この物語に登場する薬屋、IT長者、やくざの親分、街金勤めのサラリーマン、さまざまな生き方、死に方がある。他人から見れば異端、狂気に見えるかもしれないが、ひとは、そのこころに添って生きればすなわち、しあわせである。
地震から十七年経つが、この気持ちは僕のこころに根付いている。
しあわせ、ふしあわせはこころの問題である。
死ぬとき、持っていたいのはこころである。
良い人生だった、と言える記憶である。
そのために生きよう。そう思う。
注:文中のリカルドさんは昨年彼岸へ旅立たれました。
向こう側でマッダレーナさんと笑顔で暮らしているでしょう。
松宮 宏
人生に対する考え方を
大きく変えた日。
後年出版した
小説「はるよこい」
あとがきに、
その思いを書きました。
読み返しながら、
また、がんばろう
と言う気持ちになっています。
はるよこい(PHP出版)
あとがき
のし上がりと没落の物語を書き進めながら、この小説の主題を何度も問い直した。
ひとのしあわせってなんだろう、ということである。
阪神大震災のその日、僕は東京へ向かうため、JR垂水駅で立っていた。明石海峡を臨むその駅は、まさに震源地に立つ駅であった。
まだ日も昇らぬ早朝、五時四十六分。海峡の方向が鮮やかな緑色に光った。少なくとも僕の中には光の記憶がある。
とんでもない「何か」が海のほうから来た。「何か」は轟音とともに大槌の一撃を駅に食らわせ、一瞬で僕の背中の方へ抜けていった。一歩たりとも動くことさえできない大爆発。土けむりがしょわーっと立ち上り、闇が残された。
僕は生きていた。震源地なのでウエーブがまだ小さかったらしい。
それがどんな規模のものかはまったくわからなかった。あとで、同僚の夫婦が亡くなったことを知った。多くの仲間が言葉にならない経験をした事も知った。
我が家のマンションは、何とかがんばって立ってくれていたが、家の中は食器や瓶や本やおもちゃやら、あらゆるものが吹っ飛び、ふとんで寝ていた妻とふたりの息子に降り注いでいた。妻は絶叫していたらしい。
そんな状況であったが、息子達は元気だった。三歳になる長男は、「ウルトラマンが来た」と目を輝かせて騒ぎ、一歳の次男は全く動じず、熟睡していた。
朝日が差し込みはじめた部屋にそんな風景があった。それはこころが痛いほどいとおしく、可憐な景色だった。「生」とはあまりにもみずみずしい。
地震の経験で得たのは「人生は一度きり」という、ピュアでシンプルな気持ちだ。
せいいっぱい生きて、悔いのない人生を送らねばならない。
物語が完成に向かう頃、西洋漢方の権威、リカルド・レニャーニさんと巡り会った。場所はモロッコのマラケシュである。語り合ううち、リカルドさん夫婦の物語を知った。妻のマッダレーナ・シストさんはファッションイラストの世界的権威であるが、残念なことに、前年亡くなられていた。
リカルドさんは研究者として多くの成果を残し、多くの命を救った。にもかかわらず、たったひとり、癌になった最愛の妻を救えなかった。彼はその一事を激しく悔い、人生をリセットた。経営する会社を全部売っぱらい、植物の種を研究する旅に出たのである。アフリカはその旅の途中だった。
リカルドさんは今、ミラノの郊外で、かつて提督の屋敷だったという広大な家に住んでいる。城のような住まいはともかく、暖炉に薪が燃える研究室で、還暦の男が少年のまなざしに戻って種を見つめている。こころの命ずるままに生きることを選んだのである。
この物語に登場する薬屋、IT長者、やくざの親分、街金勤めのサラリーマン、さまざまな生き方、死に方がある。他人から見れば異端、狂気に見えるかもしれないが、ひとは、そのこころに添って生きればすなわち、しあわせである。
地震から十七年経つが、この気持ちは僕のこころに根付いている。
しあわせ、ふしあわせはこころの問題である。
死ぬとき、持っていたいのはこころである。
良い人生だった、と言える記憶である。
そのために生きよう。そう思う。
注:文中のリカルドさんは昨年彼岸へ旅立たれました。
向こう側でマッダレーナさんと笑顔で暮らしているでしょう。
松宮 宏
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