竜馬ときらり
司馬遼太郎財団と何度か打ち合わせをさせていただき、出版に至りました。
感謝いたします。
小説の前文です。
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街を研究する活動で、学生たちと大阪生野界隈を散歩していたとき、生野病院に行き当
たった。区役所のひとが説明した。
「ここはかつて新世界新聞社でした。司馬遼太郎さんがキャリアをスタートさせた場所で
す」
僕や同行の先生は、
「おお!」
と目を輝かせたりしたが、学生たち20人の誰ひとり、作家司馬遼太郎を知らなかった。
えー、ほんとか?
エラいことだ。
文化の喪失ではないか。
司馬遼太郎の本で人生を教えられた人は多い。若い世代にとっても損なことだ。
ちょうどその頃、僕はこの物語「竜馬ときらり」を書きはじめていた。
神戸三宮の150年間を題材にしたもので、史実と創作を行きつ戻りつしながら進
めている。
主人公は現代に生きる若い女性、新谷きらり。彼女は幕末に存在した「神戸海軍操練所」があった「生田の磯」へタイムトリップをする。
そしてそこに、物語のもうひとりの主人公である坂本竜馬が登場する。
坂本竜馬の生涯は大きく三つに分けられる。
最初は土佐から江戸へ出た千葉道場での修業時代、
最後は京都における幕末の風雲。
その中間時期にあたるのが、神戸海軍操練所の頃だ。
司馬遼太郎作『竜馬がゆく』に、竜馬の神戸時代が出てくる。
坂本竜馬は歴史の奇跡と称される人物だが、司馬さんの「青年」竜馬を見る目はとても
優しい。
女優で随筆家でもあった高峰秀子はそのあたりを、こんなふうに書いている。
「動物好きの人が、野良犬や捨て猫の前にしゃがみ込んで『ホラ、こいこい、おいで』
と手をさしのべているときの、こよなく優しく柔らかいまなざしを、誰でも見たことが
あると思う。野良犬や捨て猫は一瞬、身を低くして警戒の姿勢をとるが、やがて優しい
眼の色にひかれてソロリ、ジワジワとにじり寄る。『お、きたか』とひとこえ、すくいあ
げるように抱き上げて膝に乗せ、『寒くはないか?』『ハラがへってるんじゃないか?』
と、ゆっくりと背中を撫でてやる……。司馬先生は、犬や猫のみならず、どんな人間に
でも常にこの眼で向き合った」
(『にんげん蚤の市 菜の花』新潮文庫 1997年)
神戸は大きな震災に遭った。街の復興はゆっくりにしか進まないが、28年たった令和のいま、三宮の開発が本格的にはじまり、神戸は目に見える形でかわりはじめた。
いまこそ神戸の歴史をひもといてみよう。神戸がミナトになった最初の時代に、坂本竜
馬がいたことを、書いてみよう。
若い世代にも、司馬作品の素晴らしさを、いまもう一度、伝えることができるのではな
いか。
人を見る目の優しさに触れる。先人がつくりあげた歴史を知る。
そこから、それぞれの未来を想像してほしい。
そんなことを思っている。
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