いい人生だったと言える記憶。そのために生きよう

一緒に働いていた同僚が亡くなった。
ほんとに、すぐ横で働いていた仲間だ。
突然死で、原因はわからない。
週明けに会社に来たら、もうこの世にいなかった。

人生、まだやることはあったろうに。最期に何を思ったのだろう。


昨夜、NHKの番組プロフェッショナルで「山谷の街で命によりそう」を見た。
流れ流れて山谷
、自分の人生を卑下する事しかできなかった老人が、励まされ、
ずっと忘れていた笑顔をとりもどす。
いい事がなかった人生の最期に、
帳尻をちょっとだけでも合わせるため、
ホスピスがお手伝いをする。
かぎりなくやさしい話だった。


しあわせってなんだろう、とよく考える。

私の小説「はるよこい」のあとがきに、しあわせの事を書いた。

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 のし上がりと没落の物語を書き進めながら、この小説の主題を何度も問い直した。  
 ひとのしあわせってなんだろう、ということである。
 阪神大震災のその日、僕は東京へ向かうため、JR垂水駅で立っていた。明石海峡を臨むその駅は、まさに震源地に立つ駅であった。
まだ日も昇らぬ早朝、5時46分。海峡の方向が鮮やかな緑色に光った。少なくとも僕の中には光の記憶がある。とんでもない「何か」が海のほうから来た。「何か」は轟音とともに大槌の一撃を駅に食らわせ、一瞬で僕の背中の方へ抜けていった。一歩たりとも動くことさえできない大爆発。土けむりがしょわーっと立ち上り、闇が残された。
 僕は生きていた。震源地なのでウエーブがまだ小さかったらしい。それがどんな規模のものかはまったくわからなかった。あとで、同僚の夫婦が亡くなったことを知った。多くの仲間が言葉にならない経験をした事も知った。
 我が家のマンションは、何とかがんばって立ってくれていたが、家の中は食器や瓶や本やおもちゃやら、あらゆるものが吹っ飛び、ふとんで寝ていた妻とふたりの息子に降り注いでいた。妻は絶叫していたらしい。
 そんな状況であったが、息子達は元気だった。三歳になる長男は、「ウルトラマンが来た」と目を輝かせて騒ぎ、一歳の次男は全く動じず、熟睡していた。
 朝日が差し込みはじめた部屋にそんな風景があった。それはこころが痛いほどいとおしく、可憐な景色だった。「生」とはあまりにもみずみずしい。

 地震の経験で得たのは「人生は一度きり」という、ピュアでシンプルな気持ちだ。
 せいいっぱい生きて、悔いのない人生を送らねばならない。

 物語が完成に向かう頃、西洋漢方の権威、リカルド・レニャーニさんと巡り会った。場所はモロッコのマラケシュである。語り合ううち、リカルドさん夫婦の物語を知った。妻のマッダレーナ・シストさんはファッションイラストの世界的権威であるが、残念なことに、前年亡くなられていた。
リカルドさんは研究者として多くの成果を残し、多くの命を救った。にもかかわらず、たったひとり、癌になった最愛の妻を救えなかった。彼はその一事を激しく悔い、人生をリセットた。経営する会社を全部売っぱらい、植物の種を研究する旅に出たのである。アフリカはその旅の途中だった。
 リカルドさんは今、ミラノの郊外で、かつて提督の屋敷だったという広大な家に住んでいる。城のような住まいはともかく、暖炉に薪が燃える研究室で、還暦の男が少年のまなざしに戻って種を見つめている。こころの命ずるままに生きることを選んだのである。

 この物語に登場する薬屋、IT長者、やくざの親分、街金勤めのサラリーマン、さまざまな生き方、死に方がある。他人から見れば異端、狂気に見えるかもしれないが、ひとは、そのこころに添って生きればすなわち、しあわせである。
 地震から17年経つが、この気持ちは僕のこころに根付いている。

 しあわせ、ふしあわせはこころの問題である。
 死ぬとき、持っていたいのはこころである。
 良い人生だった、と言える記憶である。
 そのために生きよう。そう思う。

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 もはや冥界にいる君に願う。
 小さなことに右往左往しながらも、なんとか生きている。
 そんな我々を、そこから見ていてくれ。

 そしてまた、どこかで会おう。

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