小説「鎌倉の怪人」連載記念 松宮流小説の作り方 その11

文章は
飽くまでも
 血の滲むような 
一語一語の積み重ね である。
 Stephen King 

三文文士のわたしとて、たしかに血は滲んでおります。
複数の第三者による校正を経てもまだまだ傷だらけ。
最終ゲラOK、校了、となっても、
一晩寝て原稿を見たら、そこは血の海。 いっこうに終わりません。
とはいえ、校正作業は全体の20%。
では80%は? それは発想を得ることですね。
発想って??
どこかから自分の中へ入り込んできたイメージ。
それを言葉に書き留めていく。
作家のからだはココロが命じるまま動く自動筆記装置。
じゃあ、作家が生を与えた登場人物は?
作家の自我、潜在意識、過去の記憶、未来への希望・・
パーソナルなDNAから生まれるものではありましょうが、
生を受ければ独自の魂が宿るのか、作家を引っ張りよる。
作中人物は自我なのか、第三者なのか・・わかりかねます。
「産み出したのはお前だろ!」と言われれば「はいそうです」と答えるしかないですが、 登場人物は作家とは違う人生を生きるので他人であります。

「我々物書きは、どこから発想を得るか、お互い訪ねたりはしない。答えようもないことはわかりきっているからだ」 Stephen King
そうですね。発想ってどこから来るんでしょうね。
鎌倉の話を書きませんか? というお誘いがあったのは事実ですが、なぜ地底人になったのか、なぜ陰陽師なのか、いつどこで思いついたのか・・ King先生のいうとおり。聞かれてもわからん。 聞かれてもわからんので、聞いてみようとも思わん。あまた出ている「文章の書き方」なんぞは読まないのです。
とはいえ、偉そうに「松宮流小説の作り方」なんぞ書いているではないか。
おしかりの声もあり。そうですね、確かに。同業には「そんなへりくつ読みたない」とけんもほろろです。 ま、ご容赦あれ。これは鎌倉の友人達と盛り上がるコミュニティ活動の一環であります。友人達はFacebookで見事なオリジナルイラストを描き加えてシェアしてくれますし、ひろ〜い意味で楽しみを持ってくださいませ。
正直に書きます。嘘偽りはございません。
正直は身を助ける。(某和尚)

さて鎌倉の怪人、カモノタダユキは怪しく走っております。
富五郎はおどおどしながら、裕子は元気だけど謎。 もっと怪しい輩もいっぱい出てきます。
登場人物を出し過ぎると、最初に誰を出したか忘れてしまったりするのですが、ほったらかしておくと寂しがってまた出て来る。 収拾付かないようで、まとまっていくのですね。 これ不思議。
文章は 飽くまでも 血の滲むような 一語一語の積み重ね である。
発想は楽しく、書き終えた達成感は半端ない。
血がまだ残っていれば、いとおしく嘗めるのです。

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