福島の野菜を食べよう

福島県産の野菜を選んで買って食べています。農家の方が困っていると聞きますので、ひとりの人間としてできることをしています。もともと僕は人間の生物としての能力を信頼するたちでありまして、そのなかでも代謝能力を信頼しています。要らないものが体内に入ったら代謝します。代謝能力が落ちない以上、異物は排出されます。健康な状態なら大丈夫です。僕はそう思っています。

以前、高校生だった息子とコンビニで牛乳を買おうとしたとき、息子はショーケースのいちばん前にあるパッケージを取りました。実はコンビニは賞味期限が先に切れる商品を前面に出し、新しいのを後ろに置きます。できるだけ製造したてのものを買いたいので後ろから取っていたのですが、息子はそれをわかっていて、あえて前面のを取っていたのです。息子は「先に消費しないと捨てられてしまうから」と言いました。ああ、と思いました。福島の野菜を買うような、意識の表面に出ていることは行動に移していても、こういった無意識、あるいはなんとなく習慣になっていることを含めると、言っていることと行動が一致していない。息子を誇りに思いました、こういったことがさも自然にできることは、とても頼もしく、これこそ地球の住民です。逆に言えば、親がその行動で若者世代に不安を植え付け、個人主義と非寛容を彼らの性格の形成要素にしてはならない、あらためてそう思うのです。
福島の農業、漁業の方、未来はもうそこまで来ています。僕も個人としてできることを続けながら、すべてが無意識、自然な動作で行えるよう、そんな人になりたいと思っています。地球の住民として。

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